埼京線の川越直通の歴史や混雑の理由!りんかい線や新宿・赤羽線

電車

 

昭和の中央線は乗車率300%を誇ったそうで、地下鉄もない時代が日本にもあったのですね!

 

空調設備もない時代でしたので、満員電車は今と比べるとかなり過酷な環境だったのではないでしょうか。

 

そんな1970年代の日本は高度経済成長期真っ只中で、JRではなく国鉄が電車を運営していました。

 

平成生まれにとっては国鉄スワローズくらいしか知らないのですが、当時は旅客需要の高まりによって通勤5方面作戦が打ち出されるなど日本の電車の歴史の基礎が作られたといっても過言ではありません。

 

そんな中で1985年9月30日に開業した埼京線の歴史について調べてみました。

【スポンサードリンク】

埼京線 工事までの経緯

 

1978年に埼京線の工事が始まりましたが、それまでは宇都宮線、高崎線、京浜東北線にのって埼玉県民は通勤していました。

 

そう考えると戸田市民や荒川沿いに住んでいた人々は徒歩40分くらいかけて蕨駅や浦和駅を利用していたのか???と考えてしまいますが、ラッシュアワーの混雑率は今とは比較にならないほど酷かったそうです。

 

たしかに上野ラッシュアワーの映像を見たことがあるのですが、乗車率300%を叩き出してもおかしくないほどに人々が電車に詰め込まれていました。

 

ちなみに宇都宮線、高崎線、京浜東北線も1968年に分離する前は東北本線の旅客列車線路を共用していたそうですが、分離後も利用者増加に悩まされる事態に。

 

そんな状況の中で大宮から上野までの地下を新幹線が走る計画が持ち上がるも、地盤が悪かったために高架化によって東北新幹線が開通することとなりました。

 

たしかに地下を通すのはどう考えても無理だろwと思うのですが、今でも東北新幹線に関しては騒音問題によって速度制限が課せられているなどやはり地域の人々にとっては電車の音は気になりますよね。

 

そんな東北新幹線の騒音問題をきっかけに作られたのが東北本線別線こと埼京線なのです!

 

今では最恐線やら最弱線と呼ばれてますが、開業当時は埼玉県の通勤ラッシュを緩和したことでありがたられていたそうです。

 

湘南新宿ラインがあそこまでドル箱路線にならなければ埼京線も少し違った評価をされていたことでしょうw

 

埼京線 幻の高崎線乗り入れ

 

戸田駅付近の用地買収に失敗した国鉄

 

今ではサイゼリアやすき家が立ち並び自動車教習所もある戸田駅周辺ですが、ここに車両基地ができていたならば高崎線乗り入れの新宿直通バージョンの埼京線を見ることができたそうです。

 

本来は宮原駅が終点となっていたはずなのですが、川越線の南古谷駅に車庫を作ることになり今のような川越線乗り入れになったという歴史があります。

 

もしも高崎線乗り入れだったら湘南新宿ラインもなかったのでは?というifも考えてしまいますが、今の埼京線の混雑を考えるとあの日あの時、戸田市が土地を譲ってくれていたらと利用者としては思ってしまうのですw

 

【スポンサードリンク】

埼京線 開業後と現在

 

1985年9月30日に開業した埼京線は1986年には山手貨物線を走ることで新宿駅まで延伸します。

 

正直、この時期の埼京線は赤羽駅〜板橋駅以外は出来立てホヤホヤで利用率も高いことから人気の路線でした。

 

たしかに埼玉県民の通勤の救世主として期待されていたので、戸田市と新宿を結んだことはかなり話題になったことでしょう。

 

ただ、今となっては湘南新宿ラインの乗り入れさえなければ…と利用者としては悩ましいところではあります。

 

そんな埼京線ですが、1996年恵比寿駅、2002年大崎駅まで延伸するなど需要が拡大。

 

りんかい線直通での運転が始まったのも2002年ですが、正直りんかい線の車両はカタカタしてて乗ってて怖いw

 

そして、今のような形に落ち着いたのですが、今後は相鉄線の乗り入れという噂もちらほらきこえてきます。

 

十条駅の高架化や板橋駅のタワーマンション化など赤羽線もここ10年ほどで近代化を遂げることでしょう。

 

埼京線は1985年開業と比較的新しい路線ではありますが、川越線、りんかい線、湘南新宿ライン、相鉄線と新しい鉄道の歴史を作っていくのを期待しています!

 

とは言ってもとりあえず遅延をどうにかしてくれw

 

埼京線 国際興行鉄道バージョン?

 

1970年代の日本は通勤地獄といわれ混雑緩和が国鉄としても最大の課題でした。

 

そんな課題を解消するために埼京線は開業し、荒川沿いの埼玉県民にとっては20分ほどで池袋、新宿に行ける便利な路線なのです。

 

埼京線の前身である赤羽線が1886年にできていたことを考えると長い歴史になりますし、実は国際興業バスが県営鉄道に対抗するために1960年ごろに

 

桜木町
小村田
与野本町
大戸
別所
県庁前
大里
戸田美女木
戸田橋
蓮根
常盤台
大山

 

を結ぶ鉄道構想を持っていたことが明らかになっています。

 

高度経済成長期の真っ只中にこの国際興業バスの鉄道路線があればまた違った時代となったことでしょうw

 

そう考えると埼京線が赤羽線を使わなかったifを考えてしまい、京浜東北線や宇都宮線の利用者は田端乗り換えで山手線で池袋に通勤派と赤羽線乗換え派に別れていたかもしれません!

埼京線への熱いメッセージ!!!

まとめ

埼京線にまつわる歴史を調べてみたところ東北新幹線の騒音問題が開業への大きな要因となっていることがわかりました。

 

今となってはりんかい線との直通からの京葉線との接続や相鉄線との直通も噂になるなどこの遅延地獄の路線にJRは何をさせようとしているか…w

 

そんな埼京線が国際興行鉄道によって完成していたならばまた違った景色が見えていたことでしょう。

 

以上、「埼京線の川越直通の歴史や混雑の理由!りんかい線や新宿・赤羽線」でした!

【スポンサードリンク】

コメント